見た目が良い事はそんなに偉い事なのか

ルッキズム差別」は「年齢差別」と同じぐらいに差別と気付く事ができない程常態化していて、もはや取り除く事は不可能に近いと思う。

 

ある日飛田新地カップルで散歩をしている人がいた。

 

店先にいる嬢はそのカップルの女性に中指を立てた。

 

嬢がなぜそこまで嬢以外の女性を嫌う風潮があるのかは知らないが、女性はブチギレてこう言った。

 

「はぁ!???!ふっざけぇんな!!!あいつ絶対性病やろ!!!かわいい顔しやがってよ!!!!」

 

今までの人生で見た事のないぐらいブチギレているというのに、最後には相手の容姿を褒めているのだ。

 

「容姿が良い」という事にはそれぐらいの威力がある。

 

「容姿が良い人」は生涯に渡って称賛される。

 

まるで一代で会社を繁栄させ、世の中を大きく変えたぐらいに、一生他人から称賛され続ける。

 

人間の深い欲求である「他人からの承認」をいかに簡単に得ることができるのだ。

 

ではその容姿はどうやって決まるのか、ご存知の通り「遺伝子」が大半だ。

 

「容姿が良い人は努力もしている」という意見がある。もちろんそうだとも思う。

 

スキンケア、食事管理、矯正、整形、個人で頑張れる範囲は割とある。

 

だけど肌が荒れている人達、太っている人達等の中にもヒエラルキーがあり、その中の順位は遺伝子で決まるし、整形は魔法じゃないので限界がある。

 

ありがたい事に、私は特別イケメンという訳ではないけど、顔面で真剣に悩んだ事はない。

 

それなりに楽しく毎日過ごしているけど、正直なところ「酷い見た目で生まれたとしても同じ人生を歩める」と言える自信は無い。

 

ではルッキズム思想的に“良くない”人はもう人生の質を高くする事を諦めるしか無いのか。

 

「配られた手札のカードで闘うしかない」というのは事実だと思うし、どんな絶望的な状況であれ「これからどうするかでしか人生は変えられない」というのも事実だと思う。

 

だから「努力で解決出来る事は全てする」が正解になると思う。

 

食事管理、清潔感等出来る範囲の事を全てする。男性なら筋トレして人外な程ムキムキになればもう顔がどうこうはあまり気にされない。

 

だけどこれは恐らく「理想論」であり「ポジティブシンキング」なのかもしれない。

 

そもそも思考プロセスや判断も「半分が遺伝子、半分が幼少期の周りの環境で決まる」と言われているので「何かを努力して変える」という発想ができない人もいるかもしれない。

 

「それは本人が悪い」という人もいるかもしれない。

 

「犯罪者や、世間的にしてはいけない事をする人」に批判している人も環境が違えば自分が「批判される側」になっていたかもしれない。

 

だから「世の中は理不尽か」と聞かれたら「絶対に違う。全部本人の努力不足。」なんて答える事はできないと思う。

 

だけど現実として、この不公平を少しでも無くすには「今出来る事をする」しか未来を変える選択肢がない。