「もう皆マスクを外してくれ」と思いながらマスクを着用する人達

コロナが流行しだしてから数年がたった。

 

ワクチンが開発されたりいろいろあったけど、生活している実感として何も変わらない気がする。

 

政府が「外ではマスク着用しなくて良い」と言ってもマスクを着用していない人を見るのは稀だ。

 

日本におけるマスク信教は異常だと思う。世間体なんて気にする必要が無いいわゆる“ヤバい人”でもしっかりとマスクを着用していたりする。

 

私が着用しているかそうじゃないかは置いといて、一個人の一意見として周りの同調圧力なんか無視して「着用したいならすればいいし、そうじゃないなら外せばいい」と思う。

 

中にはマスクを着用したくてしてる人もいるだろうが、そうじゃない人もいる。

そういった人達は「周りの目」を気にして外せない場合がほとんどだと思う。

 

周りにマスクを着用しない人が多くなると、恐らくそういった人達は喜んでマスクを外す。

 

そういった意味では「マスクを外してくれ」と願っているのだ。でも皆外さない。じゃああなたが先陣を切ればいい。

 

あなたがマスクを外せば、我慢して真面目に着用している人がバカらしくなって外すかもしれない。そうやって連鎖が広がっていくかもしれない。

 

「お前みたいな考えの人間がいるからコロナが静まらないんだ」「マスクを着用しない事をよく思わない人もいる」と言い出す人もいるだろう。

 

「だからなんだ?」そもそもコロナという大規模な災害を「マスクを着用しない一個人」の責任にするのは違う気がする。

 

コロナがどうやって発生したかの真実は分からないが、中国の研究施設であれば責任があるのはその施設だ。

 

日本という国でいえば「マスクを着用するかしないか」というのは一個人の意思なので「マスクを着用したくなるような仕組みを作る」「法律で規制する」しかない。

 

「お前がマスクをしないせいで誰かにコロナがかかるかもしれない。お前は自分の事しか考えていない」

 

「人は皆自分の事しか考えてない」と思う。基本的に自己犠牲をしてまで他人を救わない。

 

でも他人の為に我慢してマスクする人もたくさんいるし、もしあなたが道端でぶっ倒れたら急ぎの用事があっても救急車を呼んでくれる見ず知らずの人もいるだろう。

 

「周りに変な人間だと思われたら、自分が嫌な気持ちになる」「自分のせいで誰かがコロナにかかったら、自分が罪悪感を感じる」他人の為にしている様に見える行為でも自分の為にしていたりする。

 

「他人を助ける」という行為も「助けなかったら自分が罪悪感を感じる」「誰かを助けると自分が嬉しい気持ちになる」から助けるのかもしれない。

 

それが「悪い」ということでは無い。人間はそういう生き物なんだと思うし、そうやって社会が成り立っているんだと思う。

 

だから「他人の為に何かを我慢しなくていんじゃないか」と思う。日本人は「自分がしたくないことをしない」という考えが無さすぎると思う。

 

でもこれもそうやって社会が成りたっている理由の一つになるのか

モテ期という辛すぎる過去

中学三年生の頃、数ヶ月だけだが、私にはモテ期があった。今では考えられない。

 

「そんな時期ない。お前が勘違いしているだけ」と言われれば返す言葉は無いが、確かにあった。

 

なぜモテたのか、シンプルに「その数ヶ月だけ顔面が良かった」のだ。

それはもう自分で鏡を見るとびっくりする程に。

 

それは「神様の気まぐれ」か「成長期の幻」かはわからない。

 

 

【モテ期の始まり】

今までの人生で周りの人が急に「顔面偏差値が上昇」した経験はないだろうか。その人が努力した訳ではなく、自然とだ。

 

そういった事は特に成長期において実際にあると思う。私が実際にそうだった。

 

もちろん朝起きて突然顔が変わる訳ではない。

短期間ではあるものの成長段階がある。

 

自分でも気付いてない様なその初期段階の頃、こんなモブ隠キャになぜか話しかけてくる女子が数人いた。

 

自惚れ発言になるが、今思えば彼女らは「株価が急騰する直前の僅かな値動きを見分ける」様な才能を持っていたのだと思う。

 

「どうしてもかわいい人と付き合いたいが、そこまで自分の力が無い」という人にはこの初期段階を見抜く力が大事だと思う。

 

 

【モテ期のピーク】

顔面の良さがピークになった時、いろいろな事が変わった。今思えば世間的にもかなり貴重な経験をしたと思う。

 

数ヶ月前までこっちを隠キャだと見下してきた女子が「◯◯君かっこいいね」などと言ってくるのだ。メスの顔をして。

 

塾に行けば入室した瞬間「カッコいい〜」と他校の女子に言われる。

今まで関わった事のないスクールカースト上位の、女子バレー部キャプテンにまで下の名前で呼ばれ、会う度にカッコいいと言われる。

 

「そんな漫画みたいな話あるわけない」と言われそうだが、実際にあった話だ。

 

あと相手の優しさの感度が100倍になる。

同じ親切行為でも相手が女子の場合「ありがとう」と感じる大きさが全然違うのだ。

めちゃくちゃ悪い言い方をすると「すぐ落ちる」と言う事になる。

 

私はモテ期の頃に「人が落ちる瞬間」を見た。もう今後見る事はないだろう。

 

その他の事としてはオタクの友人と遊んでるとヤンキーに「なんでお前あんなのと絡んでんの?お前はああいうんじゃないだろ」と言われた。

 

もう分かりきった事だが「スクールカーストは究極のルッキズム主義」だと思う。それを跳ね除ける程の明るい性格があれば別だが。

 

 

【私自身の性格は変わったか】

今思うと「そういった経験をすると、自信が身について性格も変わるかのでは?」と感じるが、私の中身は何も変わらなかった。

 

モテていた時期が短かったからかもしれない。

 

実際モテ期の頃も「嬉しさ」より「困惑」という気持ちが強かった。

 

もちろん彼女を作りたい気持ちはあったが、あたふたしている間に私のモテ期は終わっていったので、結局誰とも付き合えなかった。

 

こういった類いの学生時代の後悔は、一生続くのだと思う。

 

 

【見た目が良いとはどういう事か】

こういった経験をしたので私は「見た目が良い」という事がどういう事か理解している方だと思う。

 

モテた時期の中で一番衝撃的な出来事があった。

 

毎日私服で塾に行っていた訳だが、中身はモブ隠キャなので毎日クソダサい同じ服装で通っていた。

 

対して毎日違う服を着て、オシャレな人もいた。

 

そんな中、同じ塾の女子が「毎日違う服着てる人ってなんかキモいよね」と発言したのだ。

 

私はこの世の不条理を理解した気がした。

 

 

【モテ期の終焉とその後】

先述した通り、今までまともに女子とコミュニケーションをとった事がないので、こんな状態になっても対処方が分からず、あたふたしていたら徐々に顔面偏差値が下がっていった。

 

本当にあれはなんだったんだろうか。未だに不明だ。

 

徐々にモテなくなっても「悲しみ」はあまり感じず「安堵」さえ感じていた。

 

結局この出来事自体は、自分の人生を変える程のインパクトは無かった。

 

それから三年後、私は高校三年生になり、大学受験を控え塾に通う事になった。

 

その塾で先述したバレー部のキャプテンと再会した。居た堪れない気持ちになり、私は謝罪した。

 

謝罪するの正しい行為かどうかは別として、何かしらの行動を起こした私を褒めたい。

 

私は「三年前のあの頃に戻りたい」と思った。その日から自分を変える為の努力をした。

 

ありきたりだが、美容院に通ったり、服を変えたり等々高校生の私が思いつく事は一通りしたと思う。

 

もちろんそんな事をしたところであの頃には戻れなかった。

 

当たり前だけど、その人とは何も起きずに終わったが、一つ得た物があった。

 

それは「努力して自分を変える習慣」が身についた事だと思う。このお陰で長期で見れば人生が大きく変わったと思う。

 

 

【今どう思うか】

この話は今基本的に誰にも話さない。

 

恐らく誰も信じてくれないし、それに過去の栄光を語る行為はカッコいいものではない。

 

この経験は私にとって「良い思い出」ではなく「悪い思い出」として記憶に残っている。

 

人生を変える大きなチャンスを得ながらも、結局何も出来なかった自分を悔いているからだと思う。

 

パチンコで例えると、連続大チャンスが来たが、全部自分のミスで何も得なかった様な気持ちだと思う。

 

今は彼女もいて、それなりに楽しく暮らしている。

 

もしあの頃誰かと付き合っていたら今とは違う人生になっていたと思う。今の様に楽しい人生になっていなかったのかもしれない。

 

そう考えれば「これで良かった」のだと思う。そうは思っているが、時々思い出してしまう。

童貞なんてさっさと風俗で捨てろ

私が童貞を捨てたのは飛田新地で、二十歳の誕生日だった。

 

セーターを来ていたのでその人を選んだ。もう相手の顔も覚えていない。二十歳の誕生日という節目ではあるものの、こんな雑な捨て方をした事に後悔はしていない。むしろ良かったと思ってる。

 

「童貞を捨てるのは愛した人じゃないと嫌だ」という人ももちろんいる。

 

それはそれで個人の価値観なのでいいと思うけど、「恋人を作るという事の難易度が高い人」に対して私はあまりおすすめしない。

 

なぜなら「理想が高くて、いつになっても結婚できない婚活女子」の様な状態に可能性があるからだ。

 

当たり前の話だけど「童貞を捨てるのは恋人じゃないと嫌」であるならば恋人を作る必要がある。

 

あんまり偉そうな事を言える立場ではないけど、恋人に作るのに大事な手順は「チャンスを作る」そして「チャンスを物にする」だと思う。

 

「チャンスを作る能力=行動力もしくは運」だと思う。あなたに行動力があるのなら、どんどんチャンスを作って場数を踏めばいいと思うが、そんな簡単な話ではないと思う。

 

人生いろいろあるので、偶然恋人ができるかもしれないラッキーチャンスを得たとしよう。

 

「モテモテでチャンスが常にその辺に転がっている」という人以外は、この数少ないチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「童貞捨てる事になるかも」といった不純な考えや、緊張から来るおどおどしさ「本当にこの人で卒業していいのか」といった懐疑は相手に悟られる。そうするとせっかくのチャンスを逃してしまうかもしれない。

 

これが「童貞なんか風俗でさっさと捨てろ」の理由になる。

 

三者からしたら基本的に「童貞であるあなた」より「落ち着きがあって、きちんと受け答えができるあなた」の方が価値がある。

 

モテる人はセックスを特別扱いしていように思う。

 

それとは逆にやたらとセックスを人生において特別扱いし、童貞を守り抜いている人もいる。

 

個人によっていろいろ考え方はあるけど、恐らく「自分を正当化する為」にそうしている様な気がする。

 

「俺はセックスをできないのではない。しないのだ。あんな誰とでもセックスをするヤリチンは馬鹿だ。」と自分を正当化する。

 

人間はそうやって自分を守っているのかもしれない。

ずっと彼女がいなかった私が勘違いしていた事

私に初めて彼女ができたのは社会人になってからだった。

 

学生時代はずっと彼女がいない事もあって「自分を全肯定してくれる唯一の存在」である「彼女」ができれば人生が大きく変わると思っていた。

 

実際どうだったか、「短期で見れば何も変わらず、長期で見れば大きく変わる」に尽きると思う。

 

彼女ができた瞬間は何も変わらないが、彼女がいなければ今と同じ人生は送っていないと思う。

 

彼女が出来る前の私が勘違いしていた事がいくつかあると思う。

 

 

・「彼女は自分を全肯定してくれる唯一の存在」ではない

 

・彼女がいない事にもメリットはある

 

・付き合う人間を間違えれば人生が終わる

 

 

【「彼女は自分を全肯定してくれる唯一の存在」ではない】

 

オタクが理想とするような、「いつでも、自分を受け入れてくれるあまあまでバブみが深い彼女」は存在しない。

 

世の中にはいろんな人がいるので「絶対いない」とは言い切れないが、そんな僅かな望みを持って人生を歩むのは正解だとは思えないと思う。

 

一般的には恋人とは「自分にとって都合のいい人間」ではなく「世界で一番身近な他人」でしかない。

 

 

【彼女がいない事にもメリットはある】

 

世間一般的に「恋人はいないより、いた方が幸せな人生を送れる」といった風潮が強すぎると思う。

 

「幸せは人それぞれなので一概にそうとは言えない」というのはもちろんのことだが、時間、金銭面的な面でいろいろとメリットがある。

 

考え方によっては「彼女がいない=将来素晴らしい彼女が出来る可能性がある」「彼女がいる=別の将来の可能性を捨てている」とも考えれる。

 

 

【付き合う人間を間違えれば人生が終わる】

 

僕の友人にはメンタルがヘラってる女性と付き合っている人がいる。

 

これはまた別の機会に話そうと思うが、人生がかなり悪い方に変わってしまう可能性がある。

 

 

この3つは、恋人がいる人には当たり前すぎる事かもしれないが、長年恋人がいないと、自分にとって恋人という存在がどんどん神々しい存在になっていき、こういった考えに陥ると思う。

見た目が良い事はそんなに偉い事なのか

ルッキズム差別」は「年齢差別」と同じぐらいに差別と気付く事ができない程常態化していて、もはや取り除く事は不可能に近いと思う。

 

ある日飛田新地カップルで散歩をしている人がいた。

 

店先にいる嬢はそのカップルの女性に中指を立てた。

 

嬢がなぜそこまで嬢以外の女性を嫌う風潮があるのかは知らないが、女性はブチギレてこう言った。

 

「はぁ!???!ふっざけぇんな!!!あいつ絶対性病やろ!!!かわいい顔しやがってよ!!!!」

 

今までの人生で見た事のないぐらいブチギレているというのに、最後には相手の容姿を褒めているのだ。

 

「容姿が良い」という事にはそれぐらいの威力がある。

 

「容姿が良い人」は生涯に渡って称賛される。

 

まるで一代で会社を繁栄させ、世の中を大きく変えたぐらいに、一生他人から称賛され続ける。

 

人間の深い欲求である「他人からの承認」をいかに簡単に得ることができるのだ。

 

ではその容姿はどうやって決まるのか、ご存知の通り「遺伝子」が大半だ。

 

「容姿が良い人は努力もしている」という意見がある。もちろんそうだとも思う。

 

スキンケア、食事管理、矯正、整形、個人で頑張れる範囲は割とある。

 

だけど肌が荒れている人達、太っている人達等の中にもヒエラルキーがあり、その中の順位は遺伝子で決まるし、整形は魔法じゃないので限界がある。

 

ありがたい事に、私は特別イケメンという訳ではないけど、顔面で真剣に悩んだ事はない。

 

それなりに楽しく毎日過ごしているけど、正直なところ「酷い見た目で生まれたとしても同じ人生を歩める」と言える自信は無い。

 

ではルッキズム思想的に“良くない”人はもう人生の質を高くする事を諦めるしか無いのか。

 

「配られた手札のカードで闘うしかない」というのは事実だと思うし、どんな絶望的な状況であれ「これからどうするかでしか人生は変えられない」というのも事実だと思う。

 

だから「努力で解決出来る事は全てする」が正解になると思う。

 

食事管理、清潔感等出来る範囲の事を全てする。男性なら筋トレして人外な程ムキムキになればもう顔がどうこうはあまり気にされない。

 

だけどこれは恐らく「理想論」であり「ポジティブシンキング」なのかもしれない。

 

そもそも思考プロセスや判断も「半分が遺伝子、半分が幼少期の周りの環境で決まる」と言われているので「何かを努力して変える」という発想ができない人もいるかもしれない。

 

「それは本人が悪い」という人もいるかもしれない。

 

「犯罪者や、世間的にしてはいけない事をする人」に批判している人も環境が違えば自分が「批判される側」になっていたかもしれない。

 

だから「世の中は理不尽か」と聞かれたら「絶対に違う。全部本人の努力不足。」なんて答える事はできないと思う。

 

だけど現実として、この不公平を少しでも無くすには「今出来る事をする」しか未来を変える選択肢がない。

ファッション狂は自分が特別な人間だと示したい

今回は私とファッションとの出会いについて話そうと思う。

 

誰も興味はないと思うけど、自分の思考の整理の為に話したい。

 

私はかなり趣味が多い方だと思う。

その中で特に自分に影響を与えてるのはファッションという趣味だと思う。

 

もはや趣味というより生活の一部であり、人生そのものといった感じがする。

もうお金をどれだけかけているのかもわからない。

 

一般的に言えば狂ってる部類だと思う。

だけど私はこの趣味を万人におすすめしたい。

 

 

私は幼少期からずっと信じて続けている信念がある。

 

 

「その他大勢と同じであってはならない。その他大勢と同じだと、その他大勢と同じ結果で終わる。」

 

 

という信念だ。何がキッカケかはわからないがずっとそう信じ続けていた。

 

そんな感じで育っていくとどうなるか、いい意味でも悪い意味でも、かなりの変人になる。

 

高校の通信簿には「行動が常軌を委してる」と書かれ、親にはカウンセリングを受診させられた。

 

もうここまでの変人になるとわざわざ「変わってるね」なんて言われない。

 

変わってる事が普通だから、わざわざそんな事を言われる事もない。

 

そんなこんなで成長していったが、服には一切興味がなかった。

 

「一般的に興味がない」というレベルではない。ズボンの丈が長ければハサミで適当に切って履いてたし、肌着のみで街中に出かけたりしていた。

 

だけど学生時代にハマっていた趣味が一つあった。

 

それが「イヤホン(ポータブルオーディオ)」だった。

 

修学旅行の際にも、買い食い、お土産購入等は一切せず、一円もお金を使わなかった。浮いたお金を全てイヤホンに費やした。

 

高価なイヤホンを購入して常に首にぶら下げていた。

 

私がなぜイヤホンという趣味に没頭したか「いい音で音楽を聞きたい」といった事ももちろんだけど「高級なイヤホンという一般的な人が所持していない物を首からぶら下げて、その他大勢と違うという事を誇示したかった。」に尽きると思う。

 

今考えればこれがファッションの原点だと思う。

 

スティーブ・ジョブズが「点と点が繋がる」と言っていたが、こういう事だと思う。

 

私には既に「ファッション」の心を持っていたのだ。

 

そんな時に出会ったのが「ZARA」だった。

 

今でこそあまり良いイメージは無いが、当時はかなり良いデザインの服が多かった。

ブランド服のコピー品の様な物も少なかった様に思える。

 

私は他人と違う物を求めていた。

だけど「他人と違う服=高級品」という考えがあった。

 

その私の需要に「ZARA」が突き刺さった。

 

あともう一つ私をファッションへと駆り立てる理由があった。

 

それが「ウェイへの嫌悪」だ。

とにかくウェイに「俺はお前らとは違う」と伝えたかった。

 

ある日、頭にチェッカーフラッグ柄に剃り込みを入れて大学に行った。

あの日のウェイの顔を忘れられない。

 

だけど今考えれば「嫌悪」よりも「嫉妬」の気持ちが強かったんだと思う。

 

男女で遊んだりするのに心底憧れていたんだと思う。

 

とにかくそんなこんなでファッションにのめり込んでいった。

 

年々こだわりが増えていき、謎の領域に達した。

大学の卒業式では私一人だけカメラマンに囲まれてミニ撮影会の様になっていた。

 

服の転売を始めて、誰かに雇われる以外の方法でお金を稼ぐ経験ができたのも大きかったと思う。

 

同じ趣味が何年も続く事は少なかったけどこの趣味に関しては興味が尽きた事は無い。

 

「他人と違う事=素晴らしい」という思想を持った私にはこの上ない趣味だった。

 

「自分に自信がない」「自分が好きじゃない」という人には是非この趣味を勧めたい。

 

誰だって理想の自分っていうのがある訳で、ファッションは理想の自分に近づく努力をする習慣を身につけられる。

 

だから自分を諦めないでほしい。

ファッションという趣味を楽しんで自分に自信を持って、人生を変えてほしい。

あなたが絶対に内定を得る事ができる方法

今回は「あなたが絶対に内定を得る事ができる方法」について話そうと思う。

 

まず、私は大企業やメガベンチャーを渡り歩いたハイキャリア組でも無いし、人事を経験した事もない。

 

「そんなただの一般人を話を聞く意味があるのか」と思われるかもしれないが、この方法でコロナ禍の中、転職活動一ヶ月半で10社近く内定を得て年収も300万→420万になったので、少しは参考になる部分もあると思う。

 

この記事はもっともっと上を目指している人よりも、就職・転職の初心者や、内定が全く出なくて困っている人に読んでほしい。

 

前置きが長くなったが書いていこうと思う。

 

 

まず就職・転職において大事な事は「競争からの脱却」と「その他大勢の人間との差別化」だと思う。

 

これが非エリート層の戦い方だと私は思う。

 

これを通じて具体的に何をするべきかスキルや経験の有無で記載する。

 

 

【スキルや何かしらの経験がある人】

求められたスキルで勝負するのではなく、自ら提案する。

 

まずスキルがある人から。

例えばあなたがExcelが得意だったとしよう。

 

その場合、当然だけどExcelを使用する職につくのが一般的だと思う。

 

上記の場合、「Excel使用できる人募集!」といった求人に応募するのではなく、Excelの存在を知らない企業に自ら改善案として、提案する事をおすすめしたい。

 

なぜか、まず「Excel使用できる人募集!」といった求人には確実にExcelが使用できる人が何人か集まる。

 

あなたはその中の一人になる。

あなたはその中で競争を勝ち抜いて1番にならなければならない。

 

「絶対に競争に勝ち抜く自信がある」というのであれば、それはそれで問題は無いのかもしれない。

 

だけど今回おすすめするのは別の方法だ。

極端な話になるが、パソコンの存在を知らず、手書きの表でそろばんを使っている会社があったとしよう。

そんな会社にあなたがExcelの存在を伝え、それをマスターしていると自分を売り込む。

 

そんな人が面接に来たらどうなるか。

 

雇う、雇わないの問題ではなく、「どうすればこの会社に入社してくれるか」といった思考まで落とせると思う。

 

ここまでくれば提示される給料も自然と上がる。

 

面接の際には、Excelとはどういったソフトなのかを説明する為の資料を制作して提示する事をおすすめする。

 

口で説明する分には限界があるからだ。

 

資料制作にはこの本に書いてある事さえ守れば綺麗に作れるのでおすすめ。

 

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なんならノートパソコンを持っていってその場で直接見せても良い。

 

Excelといった有名なソフトで例えたので少し無理があったが、あなたのスキルに置き換えて、どういった会社に提案できるか、今一度考えてほしい。

 

 

【スキルや経験が無い人】

その他大勢と差をつけた人間になる。

 

あなたが何も持たない人の場合、あなたはその他大勢とは違う人間にならなければならない。

 

これがあなたが短期間で競争に打ち勝つ最善の方法だと思う。

 

競争に参加しない事がベターなので「志望者が少ない優良企業を探す」が最善の方法だとは思うが、今回は別の方法を話そうと思う。

 

ではあなたが短期間でその他大勢と差をつけるにはどうしたらいいか、それは「意味のない事を根性でやり抜く」だと思う。

 

例えば「自転車で大阪から東京まで行く」等の事だ。

 

これは実際に私がした事で、一定の効果があったように思える。

私は声も小さいし、見た目的にも明るい感じはしないので、余計に効果があったように思えた。

 

なぜなら「意味のない事を根性でやり遂げる事ができる=アクティブでコミュニケーション能力が高い」といったイメージがあるからだ。

 

この方法は根性だけでなんとかできる。あなたが病気、怪我等でない限り数日努力するだけでなんとかなる。

 

履歴書に達成した時の写真でも貼っておけば、面接の際に話を振られる可能性が高い。

 

話が振られたら「自分を変えたくて頑張った」等の事を言っておけば良い。

 

キャリア転職では「で?」となる可能性もない事は無いが、そもそも興味がなければ話を振られないだけだ。

そして新卒の場合はかなり効果があると思う。

 

余談だが、こういった根性で乗り切るイベントを達成しても人生は何も変わらない。

 

変わる人もいるかもしれないが基本的には何も変わらないと思う。

 

大事なのは「何を経験するかではなく、価値のあるエピソードとして他人に話せるか」だと思う。

 

 

これで終わりになるが、最後にタイトルに「絶対」といった言葉を使用した事を謝罪させてほしい。

 

世の中に「絶対」は無い。だけど上記の方法で、きちんと「自分の軸を持った人間」として面接に進めば、必ず上手くいくと私は信じている。